7月4日

午前

クラスカフェ

 今日のクラスカフェの議題は ⑴夏休み中の班別行動の内容決定 ⑵秋の遠足の詳細 ⑶11月のふれあい祭りの打ち合わせなどです。

  ⑴ 夏休み中の班別行動は

  1班は・・・生駒山山上

  2班は・・・長居公園(チームラボ見学)

  3班は・・・象印食堂で高級ランチ

  4班は・・・星野リゾートでランチと新今宮散策

   班ごとの相談で以上の行き先に出かけることが決まりました。各班楽しそうな行き先ですね。

 ⑵ 10月の遠足は鶴見緑地公園でバーベキューと決まっていますが、詳細については一度、遠足係が現地に下見に行って詳細を決定

 することになりました。

 ⑶ 11月に枚方校で行う「ふれあい祭り」の東大阪校の演目は「歌」と決まっていますが曲目などの詳細を今後決定してゆくことにな

 りました。


午後

「大和川の付替えと河内木綿」

講師 八尾市立歴史民俗資料館 学芸員 李 熙連伊 氏

 中河内地方で木綿づくりが文献に出てくるのは1600年初め頃からですが、その頃はまだ木綿は高級品で、一部の権力者の間での贈答品などに使用されているだけでした。

 しかし宝永元年(1704年)に大和川の付け替えが行われてその様相は一変します。

 旧大和川筋の川原に1050haもの新田が誕生して、そこが綿畑になり、河内地方の木綿づくりは爆発的に拡大します。

 江戸時代の「河内名所図会」(八尾市歴史民俗資料館蔵)の「高安の里」のページには、高安地区の機場(はたば)と呼ばれる生産者宅に仲買人が買い付けに来ている様子が描かれています。この家では糸紡ぎや機織りが盛んにおこなわれていた様子がわかります。

 東大阪市でも鴻池新田の綿づくりが規模も大きく、有名ですよね。 

 木綿づくりは、夏の終わりに収穫した綿を冬の農閑期に糸つむぎや機織りをするので、農家は1年中仕事があります。

 1834年の「綿圃要務」(資料館蔵)には高齢の男が糸をつむぐ絵が描かれています。木綿づくりは一家全員の仕事だったのです。

 河内木綿は近郷の地域に出荷されるだけでなく遠く山形県の最上地方にも出荷していた記録が八尾の木綿屋、庄兵衛宅に残っています。丈夫な河内木綿は全国的に人気があったのですね。

 こんなに繁栄した河内木綿ですが、終焉の時をむかえます。

 明治に入り、外国産の安い綿が輸入されると河内地方の綿作づくりは衰退し始め、外国綿の関税が撤廃されると一層打撃を受け、河内地方の綿作は一挙に衰退しました。

 しかしその繊維づくりの流れは、泉州のタオルや毛布、奈良の靴下などにつながっています。


懇親会

 先日の昼食会(お弁当会)に続いて、上六のハイハイタウンでクラス懇親会を開催しました。

 1学期の途中で、まだクラスの皆さんのことがよくわからない時期なので、日ごろ会話することのない他の班の人ともお話ができ、楽しい時間を過ごしました。